過保護とは

「過保護は、特にこどもの養育において、必要過多な保護、甘やかしを行う場面が多く、こども自身の自主性を尊重し過ぎ、まともな社会人として巣立つのに必要な躾けをせずに済ますことを指す。」(wikipediaより)

物が溢れ、日本人にとってサービスが便利が過ぎる日本において
便利な世の中は、おせっかいを超え「過保護」ではないか
しかしこの過保護は、徐々に自分の首を締めることになっているのはないか。

ナイチンゲールの看護覚書「おせっかいな励ましと忠告」という章がある
これを読んだ時、強烈な印象を受けた。

おせっかいとは何なんだと。。。。。。

臨床の時から
医療者は、過保護なところがあるなと感じます。

病状が重症な患者へ、必要な人材や医療を提供することは大事です。
救急外来のベッドにいる秒を争う患者へ、治療・検査そしてその家族に関わるこも大事です。
ターミナル期の患者さんの思いを聞き、なにか看護師として関わることも大事です。

すべての人にその関わりが必要なのか?

退院したければしてもいいじゃないか。(海外のようにお迎えできる人材が保証されるならば)
喫煙したければしたらいいじゃないか。(十分な合併症について相手が知り納得してるならば)

それを病院で治療を我慢してもらうことに意味があるのか
患者へ考える機会(権利)を渡すことが大事なのではないか

なにかと日本人は責任の過剰な抱え込みをしたいらしい。
これこそは過保護なのではないか。

人間は、そんなに弱くないよ

  • 医療者として最大限の情報提供
  • 最低限のサポート(患者さんが活きるために必要になるであろうサポート)
  • 必要なときに手を差し伸べること

 

人々が最も必要なことを考えれば、
医療者に本当のニーズを考えれる人材が多くいるならば(いるはずである)
病院で入院生活は、さらに快適になるのではないか。

日本の医療は、素晴らしいけれど
その辺りの柔軟性はどうなんだと思ってしまうことが。。。。

私がお世話になったあるAustraliaのWA州でのおはなし

腰痛が悪化し手術を行った人男性
強力な鎮痛剤を内服しながら、牧場に戻ってきた

妻の運転する車から出てきて最初の表情は笑顔だった。

woolworthの大きなビニール袋を持ちながら。
3日で小錦になれる程のビスケットをさげて

翌日には、
エミューが走り抜け、赤土が舞う、乾いた空気が皮膚に刺さる
モヤっと熱気が残るが日が暮れればひんやりとどこかろともなく風が吹く大地

日中に牛を追いかけ、羊の囲い込み
私とともにバームクーヘンのようなずっしり敷き詰まった牧草を車に載せ上げた

仕事の後に
家族・仲間とビンに滴る水滴にハエが寄ってもお構いなく
ビール瓶を片手に笑顔な彼

日本に彼がいたら
同じ乾燥した場所でも
彼は病室のベッドでビルの合間からでてくる空をみながら座っているだろう

happyでなくsuffering  〜過保護〜

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