「質より量が大事」

「量より質が大事」

 

何か取り組んでいる方なら、身近で良く聞かれる言葉でないだろうか?
受験もしかり、英語など語学もしかり
仕事や生活における全てにおいて、この言葉は適応してもおかしくない。

また、

「人から与えられるのではなく、自分で掴みにいかなければならない」

のような主旨の言葉を聞いたことがないだろうか。

これらの言葉は、魔法の言葉のようで万能にみえるが、
そうでないと私は思っている。

使用する時を履き違えると、大いに矛盾がおこりうる言葉である。

例えば、自動車運転免許や医師や看護師などの資格の取得を考えた場合
前者は資格の中でも量より質が求められると思っている。
ポイントをしぼり、いかにミス無く試験を合格することが大事である。
試験内容もパターン化されており、決して量も多くない。

一方、後者の国家試験から資格を取得する場合、
いかに量をこなして試験の傾向と基礎学力を養うかが大事である。
そこから質を求めた学習スタイルを加え、
試験に対応できる学力を身につけることが一つのセオリーでないだろうか。

私は、海外で英語と触れる中で感じてきたことがある。
あらゆる国の人々と話す機会も増え、徐々に楽しい一時を過ごせるようなると
圧倒的な語彙力や単語力が不足していると感じた。

英文を無意識(日本語を意識しせず)に話せるレベルでない場合、
単語や語彙力がなければ、あらゆる方法で相手へ伝えなければならない。

圧倒的に量(基礎力)が不足すると、一度コミュニケーション技術で少し頭打ちになる。
私の場合、
シェアハウスでは拙い英語でも筆談やジェスチャーを用いて、
相手へ誠意をもって関わればなんとかなった。

「なんとかなった」というレベルを超えたいと漠然ながら感じ始めると
語学学校の医療英語の授業で、思いっきり語学の壁にぶち当たった。

壁と言っても、客観的にみれば跳び箱4段ほどであろう。
しかし、私にとっては大きかった。

日本で経験してきた医療に関することが、スムーズに言葉にならない。
歯がゆさが募るばかりの毎日であった。

同じクラスの欧州系の学生は、関係代名詞・現在完了をよく織り交ぜて話していた。
決して複雑な文法を使っていないけれど、スムーズに話していた。
話したいことを言葉にしているようで羨ましかった。

自分と彼らの努力の差を感じた。

実際に、上手く話せる学生たちは何かしら努力をしている。

努力をすれば、全て上手くいくわけでないだろう

しかし、

努力しなければ上手くいくチャンスはない。

「努力」の感じ方は人によって異なる。

努力を「苦しいもの」と感じることもあれば、さほど感じないこともあるだろう。

また、「努力」の内容も人によって異なる。
「量」なのか「質」であるのか考えなければならない。

私の場合、圧倒的にスピーキングスキルがない。
話す内容を上手く文章としてイメージできていないことが原因である。
どのように話したいのか、起承転結に構成する能力が不足している。

そして単語と語彙力の不足で、さらにスピーキングの流れを悪化させることに拍車をかけている。
英語で話す機会は、英語の質を上げる上で大事な場所である。

しかし、根本的に単語と語彙力が不足している場合、
質を上げるために弾丸のような量が必要になってくる。
会話は、銃撃戦のようなものであり機関銃のように弾丸を消費する。

英語の質が低い段階では、経験上あらゆる弾丸を使うことが大事である。
自分が伝えたいことをパズルのピースのように相手へ投げ、
相手にピースをはめ込んでもらいながら、
こちら側が伝えたいことを導きだしてもらわなければならない。

このステップをこなせるようになれば、自然と次の課題にぶち当たるであろう。
またその頃には、少しばかり言いたいことを話せるようになるはずである。

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ー話題を少しだけ変えてみる。ー

日常で、相手の話を全く聞くこともなく話していたことがないでしょうか?
私は、相手の言葉尻だけでなく文脈から自己解釈をして全く聞いていないことがある。
今までの経験から、このように話してくると予測をして会話をしている。

私の場合
これは、結構英会話においても役立った。
並みの人生経験しかない私でさえ、よかったなと思う瞬間である。
どんな人種・民族であれ日常の会話や風俗において共通することもある。

例えば、
相手がお菓子やcoffeeの時間を楽しんでいる場合、
大抵視線が合い、声をかければ相手から誘いがやってくる。

この時に、いくつか聞こえない言葉があっても解釈すれば上手くコミュニケーションが成り立つ。
ここで、いきなり予想を超えるようなトピックを投げかかけてくることは無いだろう。
こういう時は、人徳に感謝し相手の誘いを受ければ、コミュニケーションの機会を設けることになるだろう。

相手の好みを聞き、それを次回に持参すれば一緒に楽しむ機会になるだろう。

ー話を本題に戻していこう。ー

「質」と「量」は、車などのトルクとスピードの関係のようなものであろう。

目的地に到着するまでに
走りだしや上り道などでトルクが必要になるように、
常にトルクとスピードは均等なバランスではなく、
信号や坂道など不規則におとずれることで必要度は変わる。
運転手によって走る道が違えばさらにアンバランスになるだろう。

つまり、目的地(ゴール)まで、いろいろなパターンで進むことになる。
このパターンが大事なところだと思う。

常に一定でなく、適度に同時進行することが大事なんだろう。
また、目的地が遠ければ遠いほど、自分の意志をもって進まなければならない。
途中のガソリンスタンで燃料補給やタイヤ交換を受けるかもしれない。
ただし、これらのサービス(ヘルプを受ける)までには、自ら進んできたという軌跡がある

つまり、

「人から与えられるのではなく、自分で掴みにいかなければならない」

でなく

「人から何か与えられても問題でない。それよりも常に動き続けることが大事である。」

試行錯誤をし続けることを忘れないことが大事なんだろう。
補給ばかり受けて、自分がすすまなくなると折角の動いた車も錆びつくことになる。

これらの絶妙なバランスは、私の人生における永久の課題になるのではなかろうか。

Quantity & Quality

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