どんな事も「何」を主体とするかで表現や受け止めが変わると思っています。
それがわかっているからこそ人は関係性を築けるんだと思います。

  • 教職員であれば主体は、学生・大学運営
  • 医療職者であれば主体は、チーム・患者

と思います。

 

 

今回のテーマは

「主体性は、どこにあるのか?」

今から記述することは、昨今の政府や事件のことではありません。
これは、私のある体験をもとにしたものです。

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ある日、何か間違いを起こしたとしましょう。
それも自分にとって「のっぴきならないミス」です。

その際、自分が犯したミスとわかったならどうしますか?

(1)その現実を隠蔽する(過少に報告するを含む)
(2)関係者に報告する

上記の2つの選択肢が思い浮かぶでしょう。
さらに言えば、
これらを差し置いて、もっと基本的なこともあります。

それは、「間違いをしたとおもったら、まずは謝る」

この行動は、今までに幼稚園・保育園など幼児教育を受けた方なら
当然のことと認識しており、敢えて意識されないと思います。

この「謝罪」は大事です。
必ず被害を受けた方へ早急に行うことが大事です。

しかし、
(1)の場合は、「謝罪」する相手を直接被害者でなく、間接的に関わる方にすることでしょう。
(2)の場合は、関係者に報告するので直接被害者へ行うことになるでしょう。

私が感じるに企業や国などが問題を起こした場合、
結構この(1)の場合でもめていることが多いのではないでしょうか?
主旨がよくわからない興ざめたような会見をみたことがありませんか?

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私自身も相手へ迷惑をかえたり、間違いを多くしています。
自分で間違いに気付かず誰かが知らせてもらうことも多いです。
そういう時は、まずは知らせてくれた方に迷惑をかけたので「謝罪」をするでしょう

さらに管理者・または被害者へ顛末書と「謝罪」を行うことになるでしょう

友人との待ち合わせに遅刻したら
まあ関係性もありますが、直接「謝罪」することでしょう。

時々、このことに関して開き直って来られる方もおられますが・・・・・笑

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私は、よく間違いをすることによって

  • 「どこで・どのように間違いが起こるのか」
  • 「どういう視点で思考していけば良いのか」

といったリスクマネジメントなど、経験を通して学ぶことができました。

これは、今の仕事や将来に役立つスキルとなっています。
私の経験から学んだリスクマネジメントでは、

大きな間違いを犯した場合、
現実に合った原因をありのままに説明する(婉曲はしない)
被害者・関係者(相手)の考えを聴くことです。

そして最悪の場合を想定しながら両者の落とし所を考える。
※(希望的観測による)最高の結果となった場合は、
特に想定しなくても素直に受け入れたら良いのではないでしょうか。

また、
自分だけなく全ての人に言えることと思っていますが、

「間違いの可能性」があれば、尋ねることが大事だと思います。

何も尋ねることができない「環境」というのは、結構やばいです。

例えば、
重症患者が、直感ながらいつもと違う状と感じました。何が異変なのかよくわからないです。
このような場合、すぐに相談できる環境でなければどうでしょうか?

  • 最悪の結果は、患者が亡くなります。
  • 最高の結果は、何もなく経過することでしょう。

この事例からも言えるように

空気を読んで、「間違いかもしれない」を言えない世の中は異常な状態です。
誰か相談しなければ、すべて自己解決しなければなりません。
一人でできることは、限らています。

誰か新しい視点を取り入れることによって、

「間違い」と思ったことが
「間違いでない」に変わるかもしれません。

挑戦することで間違いが起こるかもしれません。
ただし起こした場合でも、
自分の中で主体とする相手(対象者)や関係者へ謝罪をすることや報告することを
忘れなければいいのではないでしょうか。

間違いに対して説明することで、なにか変わるかもしれません。
結果的にその行動は、自分が思っていた以上に間違いでなくなるかもしれません。

しかし、
私の体験した出来事は、この通りに進んでおりません。
おそらく真逆の方向を辿っています。

いつから人は「謝罪」ができなくるのでしょう。
なにが阻害しているのでしょう
それは「プライド」それとも責任でしょうか?

そういう責任やプライドなら
私は、いらいないとも思ってしまいます。

これらが、人を変えてしまうのでしょうか。
人間性が喪われるなら昇任や昇給はいらないですね。
自分自身の中で、このことに囚われていしまい楽しく活きる・幸せになれないのは嫌ですから・・・

そう考えるのは、僕だけでしょうか。

彼らは、間違い犯したにも関わらず
主体性が自分自身にあり、それが滲み出ており周囲からも興ざた雰囲気を感じます。

しかし、本人達にはこのことに関する認識が乏しく、
事実つまり「最悪の結果」をオブラートに包んだままにしています。

被害者・関係者への報告もできるかぎり先延ばししており、
結局のところ真実はどこにあるのか不明確のままです。
当然、謝罪の意もハリボテのようになります。
周囲が興ざめし、
さらに被害者がそのように感じているのですから、
どうしようもないのかなと思っています。

このことに関しては、具体的に交流会・オフ会などでお話できるといいですね。

kenichi

主体性はどこにあるのか。Where’s their indivisuality

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